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  • 株式会社コンカン

【代表の人物像&体験談!】「近江商人『三方よし』の精神が息づく企業を知る!」~老舗"のりもの"メーカー90年の歴史から見える「サステナブルなビジネス」の"ヒント"とは?~

今日は、concan代表が思う「近江商人の『三方よし』の精神」について考えてみます。


隅田川のほとり、東京都台東区"駒形"は、昔からの『伝統』と『文化』が息づく街です。馬頭観音をまつる「駒形堂」から「蔵前」に至る江戸通り沿いには、かつて 玩具問屋が ひしめき、今も「大手玩具メーカー」の本社が軒を連ねています。


そんな"駒形"に 2001年から本社ビルを構えているのが、子どもに 最適な運動の重要性を考えながら「三輪車」や「自転車」を開発する、"のりもの"メーカー「アイデス 株式会社」があります。


「アイデス」は、江戸に出てきた初代が『饅頭』や『パン』を販売していたころから、様々な業態転換を経てきました。

3代目の時代には、ディズニーなどの「キャラクター自転車」が"大ヒット"しました。4代目の現社長、「中井 範光氏」は、妥協なき『モノづくり』への"こだわり"を受け継ぎながら、子どもの豊かな"のりもの"体験がもたらす、ソフト面の機能的価値に革新を重ねています。


1歳から小学生まで、子どもの成長に合わせて"のりもの"をステップアップさせる「D-Bike」シリーズをはじめ、「アイデス」のプロダクトは子どもの「チャレンジ精神」、そして 「成功体験」から導かれる『人生の糧』を得られるように設計されているのが特徴です。


90年、4代に及ぶ歴史には、「子どもの成長」と「安全・安心」を徹底的に追求し、幼少期に最適な運動を提供するという「アイデス」の"遺伝子"が貫かれています。

「範光氏」が事業承継の中で曽祖父の代から受け継ぎ、そして 革新してきた「アイデス」の存在意義を紐解いていきます。


■【近江商人をルーツに持つアイデスの遺伝子】

歴史ある「中井家」のルーツは、滋賀県の『近江商人』だった「中井 源左衛門(光武)」にさかのぼります。

「日野屋」という屋号で、「日野椀」という塗り物の製造販売を手がけ、江戸時代に『雑貨』や『米』などの販売を全国的に展開したといいます。


「日野屋」が、全国展開する中で、1749年には 栃木県大田原に出店し、「源左衛門」が作った商売の基礎は、このころに完成しました。「中井家」の『墓』の筆頭に書かれている「中井 治左衛門」から数えて、現社長は 8代目になります。

現在の「アイデス」に繋がる事業を興したのが 現社長の曽祖父の「中井 弥平氏」で、そこから数えると4代目です。


「初代・弥平氏」が興した『饅頭屋』は、1930年に「中井酸素溶接所」へと大きな事業変換を遂げました。

「酸素溶接」とは、『アセチレンガス』に『酸素ガス』を混合させた高温の炎で行う「溶接法」で、この酸素溶接で「幼児用チェアー」の製造を始めています。


「関東大震災」を経た昭和初期、地中から飛び出していた『水道管』を集めて溶接し、「チェアー」を作っていたといいます。「チェアー」は『皇太子さま』(現在の天皇陛下)にも献上されるようになりました。これが現在の「アイデス」の始まりです。

『皇太子さま』に献上された「チェアー」そして、戦後、2代目の「祖父・賢二郎氏」が1949年から「子ども用三輪車」の製造を開始しています。

1950年ごろに製造された「2人乗り三輪車」は、後部座席を立てると背もたれになります。


「範光氏」の「父・慶一氏」が2代目から受け継いだとき、彼は 独自の「モノづくり哲学」を持っていたといいます。

学生時代から「デザイン学校」に通うなど、デザインに対する"こだわり"が人一倍強かったそうです。また、親が子に与える"愛"を絶対的に信じていました。「子どもが喜ぶ"デザイン"の『三輪車』を創りたい!──」

そうした「慶一氏」の想いが結実したのが、「ディズニーキャラクターの三輪車」で、「三輪車」の"デザイン"にイノベーションを起こしています。


「3代目社長・中井 慶一氏」は、韓国の生産工場にて、ディズニーをきっかけとして、「モノづくり」への"こだわり"は そのままに、「キャラクターライセンス事業」を活用するビジネスへと転換させました。また、「子どもが楽しめる『三輪車』を創り、自ら進んで運動に取り組んで欲しい」という想いを実現するために、「三輪車」の正面に"おもちゃ"をつけています。当時の「自転車」の価格相場が『4.000円』くらいだったのに、"おもちゃ"をつけた「三輪車」を『1万円』で売り出しています。しかし それが付加価値になり、「三輪車」のマーケットシェアの半分を占めるくらいの大成功をしています。


1976年の「三輪車」商品カタログでは、先代の時に それまで 製品を問屋に卸していた形から、「幼少期に最適な運動の重要性をエンドユーザーに直接訴える」ために、自社で商品販売を行うようになりました。いち早く 受注処理をデジタル化するなど、製造販売のインフラを整えつつ、『デザイン』と『性能』に優れた「のりもの」を提供できるようになっています。


現社長の「範光氏」が大学を卒業して 社会人になるころ、4代目として先代から事業承継をする気は、殆どなかったとそうです。

「心の片隅には 継がなきゃいけないんだろうなと思っていたそうですが、当時は『アーティスト』や『大学教授』になりたくて、海外で勝負したいと思っていたのです。だから、親が決めた就職先も断って、自分で見つけた就職先を選んでいます。

今 思うと、親が決めたレールに抗っていたんだと思うと。」


親への対抗心から、自ら選んだ「仕事」として、『化粧品卸』の大手ドラッグストアチェーンを担当する営業職の道を歩んでいます。そこで 結果を出し、自らのキャリアを切り開き始めたころ、先代が動いたそうです。


先代から「『海外事業部で実業をしながら、世界を相手に仕事をすればいい』と言われ、親の会社(当時の社名はプラスワン)に入ることにしました。半ば 騙されたようなものです。

海外事業といっても、工場の中にいながら事務作業に忙殺されていましたから」と。


先代に抗いたいという気持ちは、ずっと消えることがなかったようでしたが、「中井家」の家業を継ぐという『運命』を受け入れることに後悔はなかったそうです。

「範光氏」は、入社して6年、自身のパーパス(存在意義)を自覚するようになったといいます。


「入社した当初は感じなかったものが、6年くらい経って、『この仕事には意味があるな』と思い始めるようになったのです。自分がやりたい仕事は、人に喜んでもらうこと、感謝されることなんだと。」



現社長の「中井 範光氏」は、"のりもの"を乗りこなして喜ぶ子どもの姿。そこに自分の「存在意義」があると言っています。「範光氏」が「アイデス」という会社に『パーパス』があることを自覚したのです。

範光氏は、「自分に子どもが生まれたのも大きかった。

ニコッと微笑み掛けられたとき、ドーンと大きな衝撃を受けました。子どもに喜んでもらう仕事をする、これは 自分にとっての『使命』というよりも、『中井家』がもつ『宿命』なんだと。親、そして 先祖代々から受け継いできたものが、『宿命』という一本の切れない線で繋がっている。

だから、曽祖父の代から私に至る4代の事業承継のストーリーは、あたかも一人の子どもが成長していくかのように連続している」と述べています。


◎と言うことで…

「近江商人『三方よし』の精神が息づく企業を知る!」と題して書いてきましたが、「アイデス」のパーパス(存在意義)は、『愛』と『こだわり』にあると思います。


0歳から、子どもの成長に合わせた"のりもの"を提供しています。子どもの成長を後押ししながら、パートナーとして寄り添い、会社も一緒に成長していく──こうした「アイデス」のパーパスを"言葉"で具体化していくと、「幼少期の成長に、最適な運動を『愛』をもって提供する」に集約されると、現社長の「範光氏」は語っています。


「いつの時代でも、子どもにとって変わらない価値は、親が子に与える『愛』だと言われています。

『愛』は、その人を形作る意識の中に落とし込まれるもので、「三輪車」や「自転車」は単なるツールでしかありませんが、親が子どものことを思いやって買い与えるものですから、『愛』を伝承させられるアイテムでもあると述べています。


「先代・慶一氏」は、「範光氏」に『親が子に愛情があるかぎり、このビジネスはなくならない』と語っています。

「範光氏」いわく「父は、父なりに、『アイデス』のパーパスは『愛』にあると感じていたようだ」と述べています。

「父は、多忙を極めていて、私が父と接する機会は決して多いとは言えませんでした。でも、父の『愛』は感じていました。だから、私も自分の子どもに、そして『アイデス』の製品を使ってくださるお子さんに、『愛』を伝えていきたいのです」と。


こうした『愛』は、「感謝」という"言葉"にも置き換えられると「範光氏」は考えています。「親が与えてくれた『愛』に対して感謝していますし、そして 社員にも、ユーザーの皆さんにも感謝する。経営に於いても、製品化に於いても、『愛』と感謝を常に忘れないようにしています。そして、幼少期に最適な"のりもの"を通じて子どもの可能性を引き出し、成長へと導くために、こうした愛情に裏打ちされた商品開発を行う"こだわり"も大切にする」と。


「D-bike miniの商品開発には、8年の歳月を費やし、目指すゴールに必ず到達させるために、商品開発のために スケッチは100以上作られています。社長 自ら社員とコンセンサスを取りながら、漠然とした「コンセプト」を具現化していくための作業を繰り返えされています。「コンセプト」の輪郭が見えてきた時に、目指すべきゴールと違うものだったら、開発途中でも辞める考え方をされています。こうした"こだわり"の積み重ねが一つの線になり、全く 新しい"のりもの"へと集約されるのです。そのすべては、「幼少期の成長に最適な運動の重要性」を理解しているからこその"こだわり"と言えます。


「D-Bike MASTER+」は、先祖から連なる近江商人『三方よし』の精神そのものです。

子どもの『成長』と『安心・安全』に対する『愛』と"こだわり"──。これこそが「中井家4代」と「アイデス 株式会社」が歩んできた90年の歴史の重みとなっています。


「範光氏」は、「常々『子供たちの成長に貢献する』というミッションを社員に浸透させながらプロジェクトを進めています。その根底にあるのは いつでも、近江商人の心得『三方よし』です」と語られています。


「三方よし」=「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」は、売り手と買い手が共に満足し、社会貢献にも繋がる経営哲学です。「範光氏」は、近江商人をルーツに持つ「中井家」には、『三方よし』の精神が貫かれていると言っています。


「範光氏」の代になってからは、先々代や先代を見て学んだ『三方よし』が より強く出ていると言っています。

中でも一番大事にしているのが社会貢献に繋がる『世間よし』です。勿論 利益を出さないと「ビジネス」は成り立ちませんが、自分たちさえ良ければいいという考えは全くないと 常々、言われています。


「先代・慶一氏」の時代には、およそ 160社が ひしめいていた"のりもの"玩具業界も、今は 2、3社しか残っていません。「アイデス」が生き残れた要因は、この『三方よし』だと「範光氏」は考えています。


常に、『三方』を考えながら商売を実践しています。これが「サステナブルなビジネス」なのです。「中井 源左衛門」の『日野屋』は、もう存在していませんが、その精神は「アイデス」に生き続けています。先代から現社長に、そして 次の代、その先の代にも引き継がれていくものなのです。


【会社概要 】

■社名: アイデス 株式会社

■代表者: 代表取締役社長 中井 範光(なかい のりみつ)

■売上高: 25億(2020年9月実績)

■従業員数: 40名(2019年9月現在)

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