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  • 株式会社コンカン

【concanトピックス特別編】concanが考える「本当の『力』とは?」~少林寺拳法の『力愛不二』から学ぶ!~

今日は、あるセミナーに出たときに、お聞きした「力愛不二」という"言葉"に共鳴しましたので調べてみました。

この少林寺拳法の特徴の一つである「力愛不二」の言葉の意味と、その真髄について書きたいと思います。




●まずは、「力愛不二」の意味から紹介します。

「力愛不二」とは、愛があっても力が無ければ、無力。力があっても愛が無ければ、暴力。二つが一つとなる、調和の思想のことです。



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●では、深堀りしていきます。

【身体からの悟りを目指して『少林寺拳法』】

『力』こそパワー? 「力愛不二」の『力』とは、どんな『力』なのか?

「力愛不ニ」は、少林寺拳法の特徴の一つで、「拳士」の『行動のあり方と、調和の思想』を表している言葉です。


少林寺拳法教範の第一編も、「拳禅一如、力愛不ニの法門、金剛禅について」と題されています。

*実は、1952年発行の教範初版本には、少林寺拳法の六つの特徴の中に「力愛不ニ」は入っていません。

その「力愛不ニ」、簡単いえば「正義正法を守り、平和で幸福な理想境を実現するには、愛や慈悲ばかりでなく、力や理知も必要である」という訓えです。


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●では、その「力愛不二」の『力』とは、どんな『力』のことなのか、調べてみました。

一口で『力』といっても、日本語には、『力』が付く言葉は 山ほどあります。

「知力、体力、気力、努力、実力、能力、腕力、脚力、財力、影響力、組織力、情報収集力、老人力、忍耐力、注意力、持続力、記憶力、魅力、判断力、表現力、精神力、実行力、集中力、想像力、免疫力、包容力、決断力、機動力、生活力、生命力、即戦力、語学力、胆力、戦闘力、独力、自力、他力、底力、地力、瞬発力、強制力、政治力、学力、筋力、迫力、協力、暴力、国語力、読解力、分析力、指導力、理解力、説得力、水力、火力、動力、馬力……」


ざっと思いついただけでも、これぐらいあって、本当は まだまだ たくさんあると思います。

少林寺拳法の「拳士」にとっては、「行動力」は 勿論のこと、「団結力」や「連帯力」、「人を巻き込む力」や、「人と人とを結びつける力」、「意外に脱力」なども大事だったりするそうです。


開祖は、この「力愛不ニ」の『力』について、次のように述べています。

「最後は力である。

人間社会というものは、金力か、権力か、武力か、その裏付けとなる個人の生命力であり、胆力であり、あるいは 技術の力である。そしてまた人を組織し、動員しうる統率力……。

みんなこれ、下に力がついとるんだよ。だから拳禅一如とか、『力愛不ニ』とか言うとるけどな、どっちも、力の方を先に出しているぞ。“禅拳一如”なんて言うとらんぞ。拳が先だ。力の方が先だよ」


という訳で、「力愛不ニ」の『力』には、色々な意味が含まれています。そのどれもが肝心だったりする訳だが、いずれにせよ、まずはともあれ「拳士」は上掲のような多様な『力』を身につけなければならないと。

しかし、大事な『力』は一種類だけではないのだから、各々の特性を生かして、自分に適した『力』から順次 蓄えていけばいいのだと書かれています。


少林寺拳法の稽古は、自分の中の秘められた『力』に気づくための稽古なのです。

そして その『力』は、仲間の中で揉まれ、切磋琢磨していく中で、気づくことが出来るものなのです。

一人寂しく学ぶのではなく、みんなの中で、みんなと一緒に自分の『力』を伸ばしていくものです。


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◎と言うことで…

少林寺拳法の『力愛不二』について書いてきましたが、『やあーかなり深いですね!』勉強になりました。

では 最後に、人々は「何故 少林寺拳法を学ぶのか?」

を紹介します。


●結論からいうと…

修行を重ねることで「自信から 勇気も『行動力』も生まれ、それを社会に役立てたとき、大きな喜びとなって、返ってくる」からだそうです。


こんな"言葉"があります。

「半ばは、自己の幸せを。半ばは、他人(ひと)の幸せを。」

これは、自分を大事にするように、ひとも大事にするという考え方です。

少林寺拳法の修行の『あり方』も同じで、1つの円で繋がっているということです。

例えば、「いつもいじめられていた子どもが、技を覚え強くなると 段々 自信がついてくる。」少林寺拳法では、人との競争ではなく、技ができると 仲間(みんな)で喜び合うのです。

そういった中で『自信』が深まると、『勇気』や『行動力』が湧いてきます。そこまでが「自己確立」で、半分の円なのです。


そして、その『勇気』や『行動力』を 何に使うのかが重要で、それを『他人』(ひと)や『社会』のために使っていく。そうすると、その喜びが 更に 大きくなって自分に返ってくるという教えです。それがあとの半分の円で、スパイラルのように繋がっていくのです。

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