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株式会社コンカン

【代表の人物像&体験談!】「自己理解とは、『人生そのもの』である!」~副題:「自己理解」の深まりが、「自己実現」に繋がる!~

今日は、concan代表の私が「『自己理解』と『自己実現』の関係性」について紹介します。


「自己理解」という"言葉"をよく見聞きするようになった昨今、その"言葉"の指す意味とは、一体 何なのか、「自己実現」とは何か、今回は、「自己理解」というキーワードを紐解いていきます。


■1.【自己理解とは?】

「自己理解」とは、文字通り「自分を理解すること」です。

もう少し 簡単にいうと、「自分を知ること」や「自分を把握すること」です。

イメージ的には、「"鏡"を使って 自分の姿を客観的に見てみるといった感覚」です。


また、「自己理解」は「他者理解」を促進してくれます。

なぜなら、自分を知ることで 相手のことも知ることができるからです。


言い替えれば…

●私たちは「自分の理解していることしか 相手の中に見てとること」ができません。


そういった意味では、「自分をよく知れば知るほど、相手のこともよく分かるようになる」という側面もあります。

つまり、「自己理解を深めた分だけ、周りの人々にも寄り添える」ようになり、結果的に人間関係が良くなる可能性も自己理解には含まれています。


しかし、このように"言葉"にしてしまえば 簡単なように思えますが、本当の意味で「自分を知ること」というのは、中々 難しいものです。かつ、奥行きや深みのあるものでもあります。


そもそも、「自分を理解すること」であれ「自分を知ること」であれ、一体 自分の何を知ったり、理解することを指しているのでしょうか?



■2.【多角的に自己理解をする!】

「自己理解」は、何か特定の事柄だけでなく、包括的かつ、総合的に「自分自身」を理解することです。

つまり、例えば「自分の好きなこと」や「自分の性格」や「自分の思考の"クセ"」などのどこか 一側面だけでなく、それらを全て含めた「自分という存在そのものを知ること」が自己理解ということです。

寧ろ、「好きなこと」や「性格」は、それらを包み込んでいる自分という存在を理解するための一つの切り口に過ぎません。


当たり前ですが「私の好きなことは食べることです!」ということが分かっただけでは、「自己理解」できたとは言えません。しかも、その項目は、挙げようと思えば切りがありません。先ほどの事例以外でいえば、「自分の得意なこと」「自分の嫌いなこと」などは 勿論、「大切にしていること」などもメインの"要素"として挙げられます。


あるいは、「自分が自分に持っている自己イメージ」や「目指している姿」なども自分をつくり上げている"要素"であり、それらを通して 自分を知ることができます。

もしくは、「仕事」や「趣味」、あるいは「人間関係」なども、自分を構成するものと言えます。

分かり易いものとしては、「職種」や「年収」や「働いている会社」であったり「休日の過ごし方」、あるいは「家族構成」や「交友関係」などを通して、自分を客観的に把握することができます。


更に言えば、「好きな漫画」や「影響を受けた映画」や「推しの俳優やミュージシャン」なども自分を形成する重要なキーワードだっり、人によっては 「自分の外見・身体的な特徴」や「所有しているもの」が自分のアイデンティティと結びついている場合もあります。


もしくは、マズロー心理学的にいえば、欲求階層における"5つ"の「基本的欲求」のうち、自分はどの欲求が満たされていて どの欲求が満たされていないかを きちっと把握することも「自己理解」と捉えることもできます。


*「マズロー心理学」:人間の欲求は、5段階のピラミッドのように構成されているとする心理学理論を『マズローの欲求五段階説』と呼びます。これは、アメリカの心理学者、アブラハム・マズロー(1908~1970)が考案したもので、(ピラミッドの下層から)「1.生理的欲求」「2.安全の欲求」「3.社会的欲求」「4.承認欲求」「5.自己実現の欲求」の5つの階層に分かれています。


こういった様々な切り口から自分を定義したり自分の色を把握することで、私たちは多角的に自分を理解することができます。


つまり、簡単にいえば…

●自分の「自己紹介」の項目として使えそうなありとあらゆる項目から自分を知ることが、しっかりと「自己理解」をする上では大切だということです。


言い換えれば、「私はこういう人です!」というポイントを色々な視点で見つけることが「自己理解」とも言えます。


自己紹介は、話す、見せる相手が変わればアピールポイントも変わるので、自分のどの側面を切り出すかも変化します。

つまり、言うなれば、「自分を理解すること」とは、こういったあらゆる視点を使って様々な自分を知ることと言えるのです。


そして、それは 自分の「ポジティブな面」だけでなく、「ネガティブに思える面」も きちんと把握することも自己理解の"コツ"です。

つまり、「自分の嫌いなところ」や「自分の苦手なこと」や「自分の弱点」なども 客観的に捉えることで、自分の「自己理解」は より一層 深まると言えます。


私たち人間というのは、二次元的な平面的存在ではありません。「自己理解」を色々な面から多角的にしていくというのは、文字通り自分の「一面」だけを見るのではなく、自分のたくさんの一面、すなわち 多面的に自分を捉えることで「自己理解」は促進します。


つまり、「自分の好きなこと」を知るだけでは 自分の一側面を知っただけであり、それでは不十分なので「得意なこと」や「大切にしていること」といったような多くの側面(多面)から自分を知ることで、平面的ではなく 立体的に自分を知るということです。


抽象的なイメージで表現すると、例えていうと、私たちは薄っぺらい厚さの存在しない「三角形」ではなく、三次元的な「正四面体」のようなものです。

そして、このようにして切り口を増やし続けた多面体は、究極的に面の数をどんどん増やしていけば、最終的には面のない球体になります。


要するに、自分への理解を深めてくれるポイントは、本当にたくさんあるということです。少し違う角度からこのことを言うと、本当はボールとして ポンポン自由に飛び回ることができるのに、それを「私は、こんな人間だ」と一面を切り取ってペチャンコの平べったい存在に押しつぶして地べたを這いつくばるような「人生」にしてしまうのは 勿体ないということです。


因みに、私たちは 他人のことを平面の三角形として見ていることも意外と多いので、この話は 「他者理解」を深める際にも使える視点です。


■3.【自己理解の深度を深める!】

例えば、自己理解によって「私は、旅行が好き」という特徴を見つけたとします…。

これを 更に「どうして旅行が好きなのか?」という問いにして、深掘ることによって、私たちは また違った自分への理解に繋がります。

つまり、「どうして 旅行が好きなのか?」という問いかけに対し、例えば「美味しいものが食べられるから」という理由に辿り着けば、「自分は旅先で美味しいものが食べられるから 旅行が好きなんだ」という自己理解が生まれます。


また、「どうして旅行が好きなのか?」という問いに対しての答えは、一つではないケースが多いものです。

それは、「知らない景色を見れるから」であったり「気分転換になるから」「非日常を味わえるから」であったり「思い出づくりになるから」かも知れませんし、あるいは もっと 抽象的に「楽しいから」や「自由だから」という理由などかも知れません。 いずれにしろ、多くの場合、様々な理由が挙げられます。


そういった意味では、「旅行が好き」という一つの特徴から幾つもの理由が分岐して広がっていくことで、自分への理解がより多くのポイントからできるようになります。


しかも、このようにして 生じたいくつもの理由は、それぞれを 更に深めることもできます。 要は、先程の「知らない景色を見れるから旅行が好き」という理由に対して、「じゃあ、どうして 知らない景色を見たいと思うの?」というかたちで 更に 問い掛けができるということです。


そして、その答えとして 出てきたものが、仮に「新鮮な気分を味わえるから」というものだったとすると、今度は それに対しても「ではでは、なんで 新鮮な気分を味わいたいの?」という問うことができます。

つまり、「自分理解」とは、このような形で 自分自身への問い掛けし続けることで どんどん 深めることができるという性質があるのです。


特に、「なぜ?」「どうして?」という「理由」や「願望」といったような視点での問い掛けは、それこそ どこまでも 延々と続けることができたりします。

それは、さながら「海の中を潜るように、どこまでもどこまでも 深く深く 進んでいくことができる」ものです。

言うなれば、途中で飽きたり、息苦しくなって 海面に戻らない限り、延々とダイビングを続けることができるのが「自己理解」なのです。


そうやって、自分自身への理解を深めることで、『新しい発見』や『気づき』があったり、今までは思い付かなかった可能性が見えてきたりすることもあります。


あるいは…

●「自己理解」を深めることで、突然いままでとは 全く違う世界を目にすることもあるかも知れません。


それは…

●自分への意味づけ、すなわち 「自己イメージが変容する」ことで成されることもあれば、自分を知る中で 自分以外の人々や社会というものを理解していく過程において、「世界の見え方が180度変わる」ことが起きたりもします。


いずれにしろ、このような意味においては、「自分を知ることは他者を知ること」でもあり、それは 同時に、「自分が生きている世界を知る」ことでもあります。


あるいは、ときに「他者の視点を借りることも、自分を知ること」もできます。

言い換えれば、「周りの人々から見た自分を通して、自分への理解を深める」こともできるということです。


例えば、自分では長所だと思っていなかった部分が、友人からみたら羨ましくなるほどの魅力だったというケースなどが分かり易い例です。


もしくは、知人からの客観的なアドバイスによって、自分の"おごり高ぶった姿"や、"現実逃避"や"勘違い"を自分がしていたことに気づくというようなパターンもあります。

いずれにしろ、自分ではない人々の世界から見た自分を知ることは、想像以上に 私たちの「自己理解」を深め、ときには 目からウロコを ごそっと落としてくれるようなインパクトすらあったりします。


しかも、地球上には 自分以外の人が約70億人も住んでいるので、70億もの自分以外の客観的な視点を通して自分への理解を深めることもできるのです。


更に、自分という存在は、どんどん変化していくものです。

個人差こそあれど、私たちは 成長するにつれて、歳を重ねるにつれて、否応なしに変化していきます。

事実、5歳の頃の自分と 今の自分はもはや別人です。

自分が変化する原因は、直接的に分かり難い場合もあれば、何か特定の『事件・出来事・経験・キッカケ』によって起こることもあります。


分かり易い事例としては、仕事における大きな変化によって その前後の自分が変わったというケースや、結婚したり 子どもを授かったことで 自分が変化することもあります。


あるいは、『誰か特定の人物との出会いや、衝撃的な映画や本』によって、自分が劇的に変わったという話も珍しくありません。


いずれにしろ、因果関係が分かり易いか否かに関わらず、自分という存在が一ミリも変わらずに生きることは 私たちにはできません。


因みに、身体的な話で言えば、人間を構成している細胞は"約3年"で すべての細胞が入れ替わると言われています。そのような意味でも 私たちは、日々刻々と変化し続ける生き物です。


それに、自分の変化というのは 意外と自分では気づき難いという側面もあったりします。

言うまでもなく、私たちは 自分自身と 24時間 365日ずっと 一緒にいるので、その変化にも鈍感になりがちです。

逆に、久しぶりに再会した友人の方が、その変化を敏感にキャッチしていたりします。


いずれにしろ、私たちは 自分で意識できているか否かに関わらず、時間の経過とともに 変わり続ける存在であることは揺るぎない事実だと思います。


したがって、「自己理解」というものには終わりはないのです。

もし仮に、今 現在は 100% 自分を理解できているとしても、数年後には その理解した自分は、全く 別人になっています。


言い換えれば、「10年後の自分を理解できるのは、10年後の自分だけだ」ということです。

5歳の時の自分を理解したとしても、それは 今の自分とは かけ離れた存在への理解になっていることと同じです。


そして、このような意味において、他でもない「今の自分を理解できるのは、今の自分しかいません」。

そのような、「いまここ」におけるリアルな自分を理解することが「自己理解」とキーポイントとも言えます。

仮に、過去の自分を振り返って 当時の自分を理解したり、あるいは 『自分の将来像』への理解を通して 自分を知ったとしても、それは 結局「いま現時点での自分の理解」になっています。


何か、分かり難いい話に感じられたかも知れませんが、つまるところ…

●「過去・現在・未来」という時間の流れにおいて、常に「いまここ」の自分への理解をこの先も ずっとし続けることが大切であるということです。


簡単にいえば、「ザックリ 年単位で区切ってみても、1年後の自分、2年後の自分、3年後の自分…」というように、毎年毎年 自己理解の内容をアップデートする必要があるということです。

もしかすると、人によっては それを月単位や週単位や日単位ですることが 良い場合もあるかも知れません。


逆に、これをせずに 過去の自分に執着していたり、あるいは 変化を拒んでいたりすれば、リアルタイムでの正しい「自己理解」には至ることはできないのです。

また、縦横無尽に自由に変化していくことができない「人生」は、私たちを窮屈で機械的な"ツマラナイ人間"にしてしまいがちです。


このような意味では…

●「自己理解」をアップデートし続けるというのは、「自分らしい人生」を"イキイキ"と謳歌する秘訣かも知れません。



■4.【自己理解と自己実現の関係性!】

次は、ここまでの内容も踏まえて、「自己理解と自己実現の関係性」について紹介します。


ここまでのことを一言でいうと…

●「自己理解とは、『人生そのもの』である」ということです。


なぜなら、自分という存在は そのタイミングタイミングで変化し続けていくものであり、「自己理解」によって知ることができる"自己像"というのは 常にアップデートしていく必要があるからです。


このような意味において、「自己理解」の過程とは 「人生」の過程そのものでもあり、今の自分への「自己理解」を更新し続けていく「人生」というものは、「いまここ」におけるリアルな自分を理解し続けていくということです。


そして、これは まさに、マズローの語る「自己実現」そのものであると言うことです。

というのも、マズロー心理学における「自己実現」とは、一つの到達点である一方で、過程でもあるからです。


●自己実現とは、「在りのままの自分を極め続けること」であり「本来の自分自身であり続ける」ということなので、これは 正に、ここまで見てきた「自己理解」の内容と一致します。


寧ろ、いま現在においてのリアルな自分を理解していなけば、「自己実現」を生きているとは言えません。言い換えれば、「自己実現という人生を生き続けるためには、自己理解をし続ける必要がある」のです。


このような意味では…

●「自分を知り、その自分を深め、その中で 柔軟に自分を変化させていくこと」が、自己実現なのです。


これは、マズロー自身が述べていることですが、「自己実現」とは 真逆の人生の特徴は、「依存」「固定」「不変」といった"ワード"が当てはまるものであり、それは非常に形式的で"ガッチリ"と構造化されてしまった『紋切り型』(もんぎりがた)の人生です。


そして、このような「人生」を生きていると、心は栄養不足に陥り、心の奥底に潜む"バネ"をはじけさせることができなくなるともマズローは述べています。


しかも、現代社会では、構造化された環境下で 次から次に「仕事」を与えられて忙しく動き回る必要があるので、これにより この傾向は加速するとまで 語っています。

そうなってしまえば、ゆっくりと「自己理解」を深める時間を生活に取り入れることすらできなくなります。


尚かつ、それによって 次第に【在りのままの自分】は影を潜め、【偽りの自分】や「【借り物の自分】で生きるようになってしまうのです。


要するに、せわしなさの中で 決まりきったルーティンをロボットのようにこなす 日々を送ることで、私たちの心はどんどん不健康になり、尚かつ 自分を理解する機会を奪われることで、自分が【自己喪失】という状態になってしまっていることさえも"自覚"できなくなってしまうのです。


その一方で、これとは逆に【自己実現】を生きている人というのは、「社会と適切な距離をとりつつも それと理想的な関係性を築き上げる」ことができているので、自分を見失うことはありません。寧ろ、自分と ゆっくり向き合う時間を取ることの大切さを知っているからこそ、どれだけ忙しくても 彼らは、意識的にその時間をつくります。 そのために必要な条件を整えることにも ちゃんとエネルギーを注いでいます。そうして 意識的に確保された『内省・内観の時間』が【自己理解】を深め、それが 【自己実現】とも結びついているのです。いうなれば、実際に【自己実現】を生きている人たちにとっては、【自己理解】というものは自分の【自己実現】を心強くサポートしてくれるものだということです。


そのような意味では、いま現在のリアルな自分を見失えば、【自己実現】など 到底できなくなってしまいます。


そして、「いまここに存在している本当の自分」を知ることは、自己理解によって可能なことです。

このような意味において、【自己理解】と【自己実現】とは、もはや "ニコイチ"の存在であり、切っても切り離せないもの同士だと言えます。自分の【自己実現】を深め続けるのであれば、【自己理解】を更新し続け、自分自身への認識の"鮮度"をぴちぴちに保ち続けなければならないと言うことです。

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