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  • 株式会社コンカン

【若手社員が勝手に"イケてる企業のC.I.を切る"!】「旭酒造 株式会社」

今日は 若手社員の私が、成長している企業のC.I.を紹介します。破綻寸前だった状態から、世界に冠たる酒蔵になった企業です。 純米大吟醸「獺祭」を開発し、一気に日本酒業界のトップポジションへと駆け上がった「旭酒造 株式会社」です。



【企業概要】 *「旭酒造」は、山口県岩国市にある酒造メーカーです。設立は1948年ですが、「旭酒造」が一躍有名になったのは、2000年代になってからです。それは 1990年になって始めた「旭酒造」の看板商品「獺祭」の開発がきっかけです。それから成長を続け、昨今の厳しい社会情勢にもかかわらず、2021年度には「141億円」という過去最高の売上げを計上しました。従業員は、「270名」となっています。 「獺祭」は、今や日本酒輸出金額の16.8%以上を占め(2021年輸出統計)、世界中で愛されています。パリの「Dassai Joel Robuchon」、NYに建設中の酒蔵、酒米の概念を変える「最高を超える山田錦プロジェクト」等、酒蔵の常識を超え、様々な取り組みをしています。また 故 安倍元首相が、オバマ元大統領に贈ったことでも話題となりました。


【企業沿革】 *「旭酒造」は、現在では日本酒メーカーの売上高トップ10にランクインするほどの企業となっていますが、かつては 地元の中でも4番手に甘んじる、小さな蔵元でした。一時は経営難に陥るほどの苦境にありましたが、その苦しさを経て、日本酒作りの慣例にとらわれない新たな取り組みに挑み続け、国内外の日本酒市場を開拓していきました。その立役者が、3代目社長であり、元会長の「桜井 博志氏」です。 実は「桜井氏」は大学卒業後、別の酒蔵で修業を経て、1976年に父が創業した「旭酒造」に入社しました。しかし 酒造りの方向性や経営を巡って対立して退社しています。そこからは、石材卸業会社を設立し、「年商2億円」まで成長しましたが、そんな中で父の急逝を受けて1984年に「旭酒造」に戻ることになります。その頃は、売上も殆どなく、倒産の危機に陥っていました。

そんな中で、「桜井氏」はひとつの決意を固めました。それは、 「大事なのは、コストダウンやノベルティへの注力ではない。 お客様が本当に美味しいと思う酒を造ることがうちの酒蔵の使命であり、 最高レベルの品質設計に対する挑戦こそが生きる道」だと。酒質に寄与するものに全ての努力を集中することが、 山口の山奥の小さな酒蔵にできる唯一にして最高の生き残り戦略と、原点に返ったのです。 ここで「桜井氏」は、 自身への誓いとも言えるビジョンを打ち立てました。それが「酔うため 売るための酒でなく、味わうための酒を求めて」です。腹を括った「桜井氏」は、このビジョンを実現すべく、努力を続けて、 酒質と販売体制の改革を行いました。 そして、 1990年に純米大吟醸 「獺祭」 が誕生したのです。



【市場分析】 *日本酒製造業は厳しい経営環境にあります。日本酒の消費量は昭和50年に「167万5千キロリットル」ありましたが、平成24年には「59万3千キロリットル」にまで落ち込み、ここ数年は、市場規模は下げ止まりの状態です。生活様式の変化や焼酎ブームなどによる日本酒離れ、酒蔵全体のブランディングやマーケティング戦略の脆弱さが市場規模縮小の要因といえます。また 特に若年層を中心にしたアルコール離れ、若年層や女性では日本酒に対して、「大人向け」「男性向け」「においがきつい」「飲みにくい」などのネガティブなイメージがあります。ただ 日本国内だけでみると、厳しい状況にありますが、海外進出や新市場の開拓により、躍進を続ける酒蔵もあります。海外の晩餐会などでは、日本酒が採用されるなど、海外市場から高い評価を獲得され始めているのも事実です。


ーーー それでは ここで、「旭酒造 株式会社」の、"イケてるC.I."の一部を紹介します。 【企業哲学】 「旭酒造は酒造りが好きです」 ともすれば一時のワインがそうだったように、 吟醸酒の世界も、通でなければわからないとか、 理解しづらいモノのように語られます。絶対に違います。 真に美味しい酒は、誰が飲んでも美味しいモノです。 旭酒造は真に美味しい酒を目指します。



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【若手なりの成長理由 分析】 ここからは、若手なりに「 旭酒造 株式会社」」の成長理由を、仮説ですが "3つ"上げさせて頂きます。 先ず、結論からいうと… ◆1.「杜氏制度との決別と、データの見える化を行なった点!」 ◆2.「 伝統を打ち破るコンセプトを掲げた点!」 ◆3.「地元ではなく、東京のみをターゲットにした点!」 の"3つ"です。それでは、1つずつ見ていきます。


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◆1.「杜氏制度との決別と、データの見える化を行なった点!」 *酒蔵での酒造りは伝統的に「杜氏」と呼ばれる酒造りの最高責任者が中心となって職人の仕事として行われています。つまり 酒の味や品質は「杜氏」に掛かっていると言っても過言ではありません。そのような業界にあって、「旭酒造」では、「杜氏」がいない状況での酒造りを進めています。勿論「旭酒造」も以前は、「杜氏」の経験に頼った製造をしていました。しかし 山口の田舎町にあることもあり、その「杜氏」さえも集まらなくなりました。しかし このことをきっかけに、「旭酒造」では「杜氏」が必要ない酒造りをすることになったのです。普通に考えれば、「杜氏」がいなくなるということは、酒造りを諦めても仕方がないような状況です。しかし「桜井氏」は、「杜氏」抜きで自分たちで作りたい酒を作るという決断をしたことは、凄いとしか言いようがありません。


*「杜氏」がいない酒造りを進める中で、徹底的にデータ管理に力を入れました。「杜氏」の経験に頼った酒造りでは、基本的に、酒造りのノウハウは「杜氏」の頭の中にあります。頭の中にあるからこそ、その「杜氏」抜きには酒が作れません。しかし 数値で管理することで、酒造りのノウハウが見えるようになれば「杜氏」抜きでも酒造りができるようになり、改善点も見えるようになるため、根拠を持って品質を追求することができるようになります。実際に「旭酒造」は、酒造りのノウハウをデータ化することで、素人でも美味しい日本酒を作ることに成功しました。そして 「日本酒は冬に仕込むもの」という常識を覆して、なんと通年で酒造りを行う「四季醸造」を開発し、この結果 上質なお酒の大量生産を実現しました。更に 大量生産のデータを蓄積し、改善に活用することで品質の向上に役立てています。まさに「杜氏」制度の廃止に伴う数値の「見える化」が、「旭酒造」の成功の要因の一つと言えます。


ーーー ◆2.「 伝統を打ち破るコンセプトを掲げた点!」 *実は「旭酒造」では、取り扱いブランドを「獺祭」のみとし、「獺祭」を幻の日本酒にするのではなく、純米大吟醸を多くの人にリーズナブルな価格で提供することを価値提案のコンセプトとして貫いています。そして コンセプトを、「大量販売の論理からお客様の幸せ志向商品に」に変更しました。つまり 「お客さんにとにかく沢山 飲んで、酔っ払って貰わなきゃいけない」というお酒から「おいしさで納得してもらう、満足してもらう。だから沢山 飲めなくてもいいから、おいしいから満足できるよ」というお酒作りに切り替えました。それが、「獺祭」のコンセプトである「酔うため 売るための酒ではなく味わう酒を求めて」です。

*このコンセプトを基に、日本酒の概念を覆したともいわれるフルーティな飲み口を実現し、若い世代や女性など、日本酒になじみがなかった層にも受け入れられました。まるでメロンやバナナのような甘い香りと、すっきりとした後味から「ワイングラスで飲みたい日本酒」と言われています。また 「獺祭」のラベルは地元出身の書家「山本 一遊氏」によるものです。他にも獺祭は高級車ブランドの「Mercedes-Benz Fashion Week Tokyo」のオフィシャルスポンサーを務めています。酒蔵が車のスポンサーを行うなど、それまでは決してあり得なかったことですが、この様な取り組みは、感性に訴えているといえます。今でこそ、当たり前のように聞こえますが、当時の日本酒業界で、このようなコンセプトを掲げたことは、常識から脱した行為です。この結果 話題となり、「獺祭」は、当時の故 安倍首相が、オバマ大統領など各国トップにプレゼントすることになり、各メディアで報じられました。



ーーー ◆3.「地元ではなく、東京のみをターゲットにした点!」 *「旭酒造」が成長した理由は、「山奥の過疎地」を逆手に取ったことも挙げられます。「旭酒造」がある、山口県岩国市は、山口県の中でも田舎の街です。こんな岩国市だと「米が入らない」「杜氏が集まらない」「地元の消費が小さい」など、マイナスの話ばかり挙げられます。しかし「旭酒造」では、このことを逆手に取って「地元で成長できないため、県外に出て行くこと」を決意したのです。そして 敢えて、最も市場が大きい「東京」に狙いを定めました。ここには理由があります。東京は市場が大きい一方で、それなりに競争の激しい市場と想像しがちです。しかし 酒蔵の場合は、その競争が激しい「東京市場」にどこの酒蔵も特化していなかったのです。だから 敢えて、東京を攻めたのです。それと同時に単純に、東京に行かないと経営をやっていけなかったのです。そこからは、社長自身が酒販店やレストランを回って、「獺祭」を置いてもらうよう頼むドブ板営業を行いました。時代も味方しました。「旭酒造」が東京に進出した1990年前後は、「バブル期」が崩壊に向かい始めた時期と重なり、閉店したバーやクラブの後に居酒屋ができ始めたのです。銀座の居酒屋だから、それまでより少し高い酒を置き始め、そこに純米大吟醸「獺祭」が入り込むことができました。ここに活路を見出し、一気に東京で名を馳せるまでに成長していきました。



ーーー ◎と言うことで… *「旭酒造さん」の凄さは、思い切りの良さだと思います。それは、取り扱いブランドを「獺祭」のみにしたこと。杜氏制度を廃止したこと。思い切って東京に進出したことなど、それまでの常識を覆す様々な取り組みをされてきたことに、成長の理由があると思います。これは 決して、簡単なことではありませんが、一度 経営がどん底まで落ちてしまったからこそ、このような思い切った決断できたのだと思います。「杜氏」の高齢化と後継者不足は、山口県だけでなく日本酒製造業の業界全体としての課題となっています。そのような状況を鑑みると、「旭酒造さん」の「杜氏」の経験と勘に頼らない日本酒製造の仕組みの構築は、将来を見据えたイノベーションと言えると思います。同時に、季節性を排除することで、社員の年間雇用を可能としたことは、地方の酒蔵にとっては、勇気付けられることだと思います。 また「旭酒造さん」が現在、力を入れられているのが、海外展開だと思います。今でも 「獺祭」は欧州や中東でも流通していますが、殆どがアジアになっています。一方で、今後 注力したいマーケットは、「ヨーロッパ」「米国」とのことです。それこそ欧米では、ワインの歴史が長いので、味見から保存、物流までいろんな価値観がワインをもとにして作られているそうです。そういう場所に「Japanese Sake」を持ち込み、いい形で飲んでもらうことは難しい挑戦だと思いますが、長期戦で、日本酒の素晴らしさが少しずつ広がれば、私自身も日本人として嬉しく思います。


◯それでは 最後に、C.I.について、若手なりに一言いわせて頂くと…モノづくりの"本質"を単純明快に、力強い言葉で表現されていて、シンプルに心に刺さってしまいました。一般消費者全員に、「獺祭」を楽しんで欲しいという強い想いが伝わります。そして このC.I.だけで、企業風土が見て取れます。しかし 敢えて、一言いわせて頂くとしたら、現在のC.I.は外向けの企業の姿勢となっていますので、そもそも「この日本酒でどのような世界を作り上げたいのか」を、所謂 "世界観"を表現すると、もっと共感が集まるのではと感じました。先ずは この事業を通して成し遂げたいことを言語化した上で、現在の企業の姿勢を再定義すると、一本の幹が出来上がり、更に企業としてのやるべきことがシンプルになると思います。本当に生意気なことを言ってしまって、申し訳ございません。。。

また 出来れば、あくまで参考程度にですが、コンカンが提唱するC.I.と、御社のC.I.を、一度 照らし合わせて頂けると有り難いです。 *concanが考えるC.I.とは? https://www.concan.co.jp/post/topics-ci 長くなりましたが、以上です。

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