皆さんは、他人と比較して落ちんだりしまった経験はありますか?私は過去を振り返ると、幾つか頭に浮かぶシーンがあります。
例えば、ビジネスに於いて、同じ年代であまりにも自分と経歴・能力差を実感すると落ち込んだりすることもありました。
しかし ある程度 「有名な社長」でも、話を深く聞いてみると、他人との比較で落ち込んだ経験があるというお話を何度か聞いたこともあります。
では、「人は、何故 他人と比較してしまうのでしょうか?」もっと言うと、よく SNSなどで「他人と比較しても意味ない!」といったフレーズを目にしますが、「他人と比較することは、本当にいけない事なのでしょうか?」そこで、今日は この「他人との比較」について調べてみます。
まず、結論から…
【何故 人は他人と比較してしまうのか?】
これには、大きく「2つ」の人間の"本能的な理由"があると言われています。
*先ず、『1つ目』は…
●「自己評価」のためです。
私たちは、社会生活に対して「適応」していく必要があります。適応的に社会生活を行う為には、自分の能力や おかれた環境・立場をよく知っていることが不可欠です。そこで、私たちは 常に「自分は果たして正しいのか?」「自分の能力はどの程度なのか?」ということを確認する為に、他人と比較をしてしまいます。言い換えると「社会適合」の為とも言えます。
*そして、『2つ目』は…
●「自尊感情(自己肯定感)」を高める為です。
人と比較をする時には、自分よりやや優れた他者と比較する「上方比較」と、自分よりも不運・不幸な他人と比較することで、自分の慰めや幸福感を増やす「下方比較」が存在します。
「上方比較」については、自分より“少しだけ”優れた他者を比較の相手として選びます。これは、ライバル心を燃やすことで、自身の向上に繋がるという「良い側面」を持ちます。
「下方比較」については、自分より下と思う相手と比較をし、自身が幸福感などを得るために行う比較です。中でも、自分より優れている点がたくさんある、と思っていた相手が自分より不幸になるほど 喜びを感じ易く、その時 他人の不幸を喜ぶ脳の状態になっていることも明らかにされています。
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では…
【他人と比較することは、何がいけないのか?】
●これは 単純に、他人と自分を比べると不幸になってしまう確立が高いからです。何故なら 自分より優秀な人は、この世の中に幾らでもいます。日本人の中で、「仕事」「勉強」「スポーツ」「収入」「容姿」が自分よりも良い人、高い人は山ほどいるのです。それを いちいち比較していたら、それだけで「人生」は終わります。仮に、スポーツのある種目で日本一になったとしても、自分よりも収入が高い人は必ずいるし、自分より"かっこいい人"も必ずいます。あるいは、日本一になったとしても、世界レベルで見ると、箸にも棒にも掛からないかも知れません。他人と比較すると、死ぬまで落ち込み続けるしかないのです。
人と比べること、或いは 過去の自分や未来の自分と比べることを「相対的幸福認識」といいます。一方、比較することなく感じる幸福は「絶対的幸福認識」といいます。人は、絶対的幸福認識を手に入れないと、真の意味で 幸せを感じることは出来ないと言うのが『本能』であれと研究結果で示されています。
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◎と言うことで…
最近はよく「他人と比較せず、自分らしく生きろ!」と言ったように、"ありのまま"の自分を肯定する『言葉』を多く目にすることが増えました。しかし
こうやって調べてみると、実は「捉え方次第ではいいこと」なのです。つまり 比較すること自体が問題なのではなく、その「捉え方」の"方"に問題があるのです。
これには、私の実体験もあります。それは 私自身が、他人比較から来る「劣等感」から、今の自分がスタートしたということです。それは、同年代の『ビジネスマン』と比べて、あまりにも『仕事の能力』が劣っていたという経験をしたことです。もし この経験がなかったら、「今のままでいいや」と、一生 『ビジネス』を退屈に過ごしていた可能性もあります。つまり、他人比較からくる「劣等感」は、もっと良くなろうと思う"源泉"であり、出来ていない自分に気づける『チャンス』でもあると思います。
先ほど述べたように「Twitter」や「YouTube」でも、「他人と比較するな。"ありのまま"でいい」という言葉をよく見ますが、その"ありのまま"とは、『努力』もせずにそのままで良い、という意味ではないはずです。自分だけの「薄い殻」にこもり、他人に目を向けない、というのは勿体ないと思います。私の周りにも こう言う人は沢山いる気がしますし、私もこういう経験があります。何者かになりたければ、誰にでもある『劣等感』を"しっかり"受け入れ、自分の立ち位置を客観視することが大切だと思います。
ここまで 踏まえて、大事なことは…
●「他人と比較して、例え『劣等感』を感じても、落ち込まない『体質』を鍛えること」だと思います。
それは、「『自分はどうしたいか』『自分は何がしたいか』と、自分を主語にして徹底的に自分と向き合うこと」だと思います。自分に"軸"がある人は、他人と比較して、例え『劣等感』を感じても、寧ろ そこから学び、自分の"モノ"にしてしまいます。それが、自分の"軸"がないままに他人と比較すると「無い物ねだり」「焦り」になり、そして 現実から目を背けることになってしまうのかも知れません。
もっと 言うと…
『劣等感』を感じても受け入れることの出来る「素直な心」が大切だと思います。
改めて 問題なのは「他人と比較すること自体ではなく、その『劣等感』の捉え方」です。
私も 例え、『劣等感』を感じても「逃げず」に、ダメな自分の理由を分析し、自分のモノにしてしまう「スポンジのような人」にならないとと思います。その為の、日々の「自己理解」の努力が全てだと思います。長くなりましたが、以上です。
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