最近は、「教養」という言葉を聞く機会が増えました。今では 多くの経営者・著名人が この「教養」について語られています。この言葉自体は、昔からあったものですが、そもそも何故、最近になって聞くようになったのでしょうか? そして 何故、今「教養」を求められるようになったのでしょうか?今日は、自分自身の勉強の為に、この「教養」について調べてみようと思います。
そもそも…
①【何故、調べよう思ったのか?】
●「『教養』の深さや幅が、人生の豊かさに比例すると感じるからです!」
〜企業さえも、個人に「教養」を求めている?~
先日「星野リゾート」についての記事を見ている中で、「教養」を大切にする会社と紹介されていました。私も以前、 「星野リゾート」を企業分析したことがありますが、とにかく 全員で、考えごとをする機会を大切にされています。それは 例えば、「観光とは何か?」「人はなぜ観光をするのか?」という観光の「本質」に迫る問いです。「星野リゾート」では、「教養」が深くて広いほど、「本質」にも近づけるという考えがあり、会社を挙げて「教養力」を高める取り組みを行っているそうです。しかし 何故今の時代になって「教養」が、企業の力を高めるのでしょうか? 今日は、「教養」について調べます。
ーーー それでは… ②【今記事の、内容(要点)!】 ■1.【そもそも、「教養」とは?】 ●「新たな知識や情報を使って、物事を考えることである!」 〜奴隷からの解放の為に「教養」が生まれた?!〜 「教養」の定義について、「ブリタニカ国際大百科事典」では、「精神文化一般に対する理解と知識をもち、人間的諸能力が全体的、調和的に発達している状態。教養の内容は、その所有者が存在する社会の文化によって異なる。」と記載されています。これを、もっと噛み砕いて言うと、「人間性を豊かにして、実社会で役立ったりする体系的な知識と理解力(応用力)」と言えます。とは言っても、まだまだ難しいと思います。実は このように、「教養」という言葉の定義は難しく、至る所で抽象的な表現がされています。そこで、この「教養」の歴史を紐解くと、ヒントが見えてきます。実は「教養」という概念は、元々は古代ギリシャで生まれました。そこでは、「教養」のことを「リベラルアーツ」と呼び、「自由な人格となるための手段」と捉えていました。奴隷制度のあった古代ギリシャでは、様々な学問や技術、芸術がリベラルアーツであり、自由な市民にとって「奴隷からの開放」の為に必要なものだと考えられていたのです。自由になっても「教養」がないと、普段の生活をどう過ごせばいいのかわからず、それだと 奴隷のままと同様と言えます。つまり、「新たな知識や情報をため込むのではなく、それらを活用して自分自身を解放し、柔軟な視点で物事を考えるということ。」これこそが、「教養」なのです。 ■2.「教養」が求められる背景とは? ●「時代の流れが早い中で、幹を捉える力こそ「教養」がある人である!」
〜経営者やリーダーにこそが求めらるのが「教養」?!〜
変化のスピードが激しい現代社会に於いて、目の前の事に翻弄されることなく、その背後にある物事の"本質"を捉える事こそ重要であり、それを磨くことが出来るのが「教養」だからです。「教養」というのは、何らかの事象に対して具体的な答えを与えてくれるものではありません。その為、学んだからといって、直ぐに仕事の成果に結びついたり、役に立ったりはしません。しかし 抽象度が高いからこそ、汎用性が高く、何か具体的な事象が起きた時でも、その物事の"本質"が何であるかを見抜くことが出来るようになります。現代は、日々の変化が激しい世界ですが、変わっているのは「氷山の一角」であり、その根底にある目に見えない部分は、実は 普遍的なものです。 特にビジネスに於いても、変化に振り回されるばかりでは、何ら有効なアクションは打てません。表面に出てくる様々な変化に直面した時に、「幹はここだよね」という"本質"を捉えられる人こそ、「教養」がある人なのです。そのため「教養」は、特に「リーダー」に求められています。例えば、歴史を学ぶことは、過去に起きた事象のパターンを多く知るということです。歴史に関する「教養」がある人は、過去のパターンの引き出しが豊かであるため、いくらビジネス環境がめまぐるしく変化しても、「これは どこかで見た現象と似ているな」と気づくことが出来ます。だからこそ、経営者やプロジェクトのトップを担うようなリーダーは、特に「教養」が求められるのです。逆に「教養」がなく、目の前の事象に振り回されてしまう上司だったら、部下は上司が騒ぐたびに混乱してしまうことになるのです。 ■3.「教養」とビジネスの関係性とは? ●「普遍性こそが、『教養』である」」 〜時代性ばかり意識している人は、時代に流されているだけかもしれない?!〜 特に現代社会は、この「教養」がビジネスの現場で求められていると言われています。例えば 映画の世界には、ある法則があるそうです。それは「ヒットの法則」として扱われ、それが「時代性×普遍性」という方程式です。 まず、「時代性」というのは、言わば その時代のニーズやトレンドのようなもので、今 人々が求めているテーマやコンテンツなどのことです。 一方、「普遍性」というのは、文字通り 例外なく全ての物事に通じるものです。これは 人間の"本質"に根ざしているため、万人に受け入れられるアイデアを生み出す為の「根」となります。この「普遍性」を知る為に欠かせないのが「教養」なのです。「普遍性」と「時代性」を掛け合わせることこそ、どの時代であっても、万人に受け入れられる 且つ 個性のあるコンテンツを作ることができる方程式だということです。先述した通り、これからの時代は流れのスピードが早いからこそ、「時代性」だけを求めると長続きすることはできません。ビジネスに「教養」を持ち込み「普遍性」を捉えられる人こそ、一流のビジネスパーソンになれるのです。 ーーー ◎と言うことで… ③【私なりの考え!】 ●「簡単に言うと、『教養』は考えることである!」 ~『教養」の先に、アイデンティティが存在する!~ 今の時代は、調べごとをする時には、GoogleやYahoo!などの検索エンジンを使えばすぐに答えが分かります。しかし それだけでは「教養」にはならないはずです。そこで得た知識を自分なりに解釈して、「教養」へと昇華させる必要があり、それにはある程度の時間が必要です。そのため 普段から文章を書いたり、読書をすることが求められると思います。その際に、ページに自分が考えたことや疑問を感じたこと、仕事で実践したいことをメモしたり、別のノートにまとめることで、知識がその人の価値観や人格、思考力に変化して、最終的には「教養」になるのだと思います。また その際には、学問だけでなく、映画や美術など、あらゆるジャンルの作品と接しながら、幅広い領域を横断的に体感することで、得られるものを増やして行くことも大切だと思います。「教養」を深め、その幅が広まるほど、身近なことへの"感度"も高まり、強いては母国・家族・個人を意識するようになるのだと思います。それは「自分たちの社会、自分たちの文化とは何か?」「自分の存在意義は何なのか?」といったことを考えることに繋がります。つまり「教養」を通して、自身の「アイデンティティ」を確立していくのだと思います。長くなりましたが、以上です。
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