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【代表の人物像&体験談!】「必要なプライドと不必要なプライド!」

私は、ここまで来るのに かなりの挫折を経験してきました。 特に、前回の体験談で書きましたが、20代の時に目の病気になり右目の視力を失ってしまったことです…

しかし… それより私的には、もっと"キツかった" 初めての挫折について書きたいと思います。 それは、中3から高1にかけての話です。 私は、小学から高校までバスケットをしていました。 地域でも有数の強豪中学で、中学3年間は地元では一度も負けたことがありませんでした。 所謂、体育会系です。 勉強も そこそこしていましたが… 引退後の高校受験に"何と"失敗してしまいました。 当然、合格すると思い込んでいた為、1校しか受験していませんでした。 その高校は、福岡県飯塚市にある五木寛之の「青春の門」の舞台となった嘉穂高校です。 さあ… どうしょうか? と、かなり悩みましたが、今更 福岡に行って私立の2次募集を受ける気にもなれず、親からは反対されましたが、思い切って中学浪人することを決めました。 浪人中は進学塾に通い、クラスは勿論 浪人専用で個性的な10人位のメンバーでした。 筑豊の飯塚ですからヤンキーやら金髪やら様々で、学力差は半端無かったです。 現役クラスには、ラサール・久留米付設クラスがあり頭の良さそう子たちが勉強していました。 いつも「中学浪人」だとバカにされたものです。 当時 中学浪人なんて中々いませんでしたから。 しかし 中学の勉強って、理解と言うより「記憶力!」覚えればなんとか成るレベルです。 塾の先生もかなり優秀で教え方も上手かったと思います。 そこで、現役よりも時間はたっぷり有りましたので、人生で一番勉強したんじゃないかと思います。 全ての教科書をノートに写しました。数式は勿論、英語、地図や人間の臓器・ミジンコまで… 暗記出来る物は全て書き写しました。 一年 続けていると、ラサール・久留米付設クラスの子たちとテストの結果があまり変わらなくなっていました。 自信は無かったけれど… 何となく変わっていく自分を感じました。 そして いよいよ二度目の高校受験です。 今回は色々な高校を受験しました。 西南高校 北九州高専 そして 久留米付設 結果は、全て合格しました。 しかし やはり、憧れの3本線の帽子・嘉穂高校に行くことにしました。 高校に入学して直ぐテストがあり、前年、落ちた私が450人中、9番でした。 この時ばかりは、「えぇ 俺 やるやん!努力すれば行けるやん!」っと感じました。 そして、やっと、自分に、自信が持てました。 もしストレートに行っていれば、このような経験や想いは出来なかったと、今では思えています。 この経験が、それからの人生に大きく影響しました。

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しかし 高校生活に一つ問題がありました。 それは、体育会系の私が今までの部活の後輩たちから呼び捨てにされる屈辱。 今 思えば"アホ"ですが… あの頃の1歳の差は、今の10歳差にも感じられました。そして、中々 同級生と馴染めない時に、担任の先生も分かったんでしょうね!「内田! 君には2学年分の友達がいると思え!人の2倍の友達がいるんだ!」とプラス思考の助言。 この担任の言葉で"はっ"として、もやもやが晴れた気がしました。そして、それまでが嘘のように、みんなと打ち解け楽しい3年間が過ごせました。 体育祭や文化祭などでは先頭に立って仕切るようになっていました。正に今の仕事です。 この2つの経験がそれから、自分に起こった「大きな壁」や「大きな挫折」を乗り越えさせてくれたんだと思います。 昔の人の言葉に、「若い時の苦労は買ってでもしなさい!」本当 昔の人はよく言ったものです。

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