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【代表の人物像&体験談!】「企業の経営者が、MBA取得よりも『三国志 Three Kingdoms』を見るべき理由!」~中国古典から学ぶ『大人物に必要な5つの条件!』~

今日は concan代表の私が、最近 ハマって見たドラマ「三国志 Three Kingdoms」が、日本の経営者に必要だと感じた理由を書きます。


昭和60年(昭和の終わり)頃 日本企業の殆どの「社長室」の本棚には、"中国の古典"があったと言われています。

また、「三国志の英雄に見る人間学」や「項羽と劉邦の運命を決した駆け引き」といった特集を組む、"中国の古典"を基に経営を語る雑誌も必ず置いてあり、それが話題になっていたそうです。





そして、経営者が社員の前で、「孔子いわく〇〇」や「諸葛亮孔明は、こうやって窮地を脱した」などといった話をするのはごく普通のことだったようです。


最近 私もハマりましたが、"中国古典"の人物を考えるのは とても面白いと思いました。何千年の歴史を経て伝えられている、一歩 間違えば、命を失う極限状況で繰り広げられた人間の営みの記録は、「人間洞察」の"ヒント"の宝庫でもあります。特に、「大人物はどうあるべきか」「将の将たるものはどうあるべきか」というのは『鉄板ネタ』で、古今の偉人が異なる語り口で その「あり方」を述べています。

この"中国古典"から学ぶ『大人物』に必要な条件として、以下の『5つ』が語られています。


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【"中国古典"から学ぶ『大人物に必要な5つの条件!』】

■1.「使命感(天命)」

■2.「知識、見識、胆識」

*『見識(けんしき)』:物事について鋭い判断を持ち、それに基づいて立てた、優れた考え・意見。

*『胆識(たんしき)』:現実の困難に直面して、それを乗り越えるべく行動すること。決断力・実行力をもった「見識」。

■3.「長期的視野と時流の見極め」

■4.「得意淡然・失意泰然」

*『得意淡然(とくいたんぜん)』:得意な時、物事が上手く行っている時、あるいは絶頂の時に、淡々と振る舞い、決して奢らず、常に謙虚に、『冷静沈着』に行動すること。

*『失意泰然(しついたいぜん)』:失意の時、物事が上手く行っていない時、逆風に逆らって向かっている時、あるいは どん底の時に、悠然と構え、何事にも動ぜず、ゆったりと落ち着いて行動すること。

■5.「包容力」


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〇では、深堀りしていきます。"中国古典"で学べる『リーダーの条件』と、今の日本社会に その理解が薄れてしまった理由を調べてみます。


■1.「使命感(天命)」

「自分が、何故 存在しているのか?」「何をする為に生まれて来たのか?」を知っているだけに留まらない。あることを『天命』と考え、歴史の必然の中に、『天命』を持った自分を組み込むくらいの強い思い込みで、「自分の存在意義」を規定するのだ。『三国志 Three Kingdoms』なら、のちに始皇帝となる秦王の政が「私は、史上初めて 中華統一を成し遂げる」と宣言するようなものだ。そして 思い込みだけでなく、実現する。


■2.「知識、見識、胆識」

知識は純粋なる知識であり、これに経験が加わるとより有効な『見識』になる。更に 実行力の裏付けが加わると『胆識』と呼ばれるものになる。『大人物』は、あらゆるものを知識レベルに留めることはなく、『見識』、『胆識』のレベルに持ち上げるべく常に努力を続ける。知識に留まり、それを振りかざす者は『小人物』として排斥されるべきだと言われることが多い。教養と称して『固有名詞』をいろいろ暗記している人が偉い訳ではない。


■3.「長期的な視野と時流の見極め」

長期的視点から物事を考えることを重視し、短期的な損得には拘らない。あまり運気が良くない時には、騒がず じっとしており、次への準備に余念がない。タイミングを計り、良い流れが来た時には、一気呵成に事をなす。潮の満ち引き、時流を読む能力も必須だ。明らかに環境が悪い時に無理に派手な事業活動をせず、色々 小さく事業の種をまいておき、トレンドが来たら、まいていた種に大きく投資をするべきである。


■4.「得意淡然・失意泰然」

心の持ちようである。上手くいったからといって奢らず、また、上手くいかなかったからといって意気消沈しない。

常に一定の精神状態を維持する。寧ろ、失意の時に 如何に 過ごすかが重要視される。『大人物』には必ず不遇の時代があり、そこで力を蓄えるのがある種の定型になっている。左遷された先で、現場の信頼を得て地盤を固め、次の事業の"ヒント"を掴むといったような話だ。


■5.「包容力」

周囲に優秀な人材を配置する。人の良い処に注目し、思い切って任せる。悪い処はあっても気にしない。あまり細かいことを言わず、ケチケチしない。そして、補佐役には自分の問題点や課題を指摘させて、それを最大限重用する。使えないなどと一蹴せず、今いる部下の良い処を引き出しながら大事にすれば、自然に優秀な人物が寄ってくる。


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色々な"中国古典"が「将の将たる器」について語っていますが、大体が 上記の『5つ』のようなことが書かれています。

そして、昭和時代の会社では、『人物評価』を行う際に、こうした基準が使われていたようです。

「彼奴に その大きな仕事を任せてはダメだ。馬謖(ばしょく)みたいな奴だから、必ず功を焦って失敗する」「あの人には、太宗のごとく、箴言(しんげん)を大事にする器の大きい処ある」。誰もが"中国古典"の主要な人物の逸話をある程度 知っていると、それが、人物を見る基盤としての共通の「ものさし」になり、求める人物像の設定が大変やり易かったのです。


しかし 今、そうした「人物査定」は不可能になってしまいました。"中国古典"の人物を基に人材の「あり方」を語るという習慣は、いつの間にか消え去ったのです。

例えば、「"韓信の股くぐり”」(大志を抱く者は、小さな恥辱には耐えなければならないというたとえ)と言っても、ビジネスの場で通じることは極めて稀です。


何故なら、「技術革新」や「成果主義」など、アメリカ(米国)型リーダーが『大人物』の養成を阻む要素になったからです。


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幾つか 具体的な理由が考えられますが…

●第1に、ビジネス遂行に於いて、「人物査定」以上に、「技術的なことをより多く考えなくてはならなくなった」ことです。


昭和の終わり頃までは、高度成長の名残もあり、『ビジネスモデル』は一定で、経営環境も それなりに安定していました。

経営者の中にも「社長の仕事は人事のみ」という人がいて、それが 支持されていた時代でもありました。

即ち 人物を発見して評価し、引き上げること。「将の将たる人物候補を見つけ、研鑽(けんさん)の機会を与えること」に大きなエネルギーを掛けていたのです。その際に、利用されたのが"中国古典"に見る「人材鑑定法」だったのです。


しかし、平成以降は、『グローバル競争』の激化、ITなどの「技術革新」「規制緩和」と業界の垣根の崩壊等で、ビジネス そのものの変化への対応に「最優先」で傾注せざるを得なくなってきたのです。まずは 『技術』や『ルール』といった「知識」が重視され、『大人物』の候補者に"帝王学"を学ばせるような余裕が無くなってしまったのです。


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●第2に、「成果主義」が導入され、乱世の中国に出現したような『大人物』を育成する環境が会社の中から完全に無くなってしまったことです。「関羽」や「張飛」が「劉備」から半年ごとに目標設定をされ、評価されている状況を思い浮かべてみると吹き出してしまいます。一兵卒を真面目に働かせる為の「人事制度」を、全員に同じように適用する一律平等の組織の中で、『大人物』を育成しようとしたり、"中国古典"から何かを語ろうとしたりしても、余りに状況が違い過ぎて、何の参考にもならなくなってしまったのです。


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●第3に、米国的な人材観が起こったことです。"中国古典"では、『大人物』は 徐々に自分からは動かないのです。

中心にいて、全体の紐帯(ちゅうたい)となり、寧ろ 部下を自由に動かすのです。大きなことは決めるが、後は「良きに計らえ」の態度を良しとしたのです。一方、米国型は リーダーによる「率先垂範」(率先して模範を見せる)が普通です。「戦略を考え、自ら動いて現場を鼓舞し、大事な顧客には自分で営業する」スタイルが当たり前なのです。「リーダーは 自ら語り、動き、人を奮起させる」のです。中国的な『大人物』と米国的な『大人物』の姿は、かなり違っています。


昭和(特に前期)世代は、子ども時代に"中国古典"を読む事を半ば義務づけられていましたが、昭和の後期、平成の世代は寧ろ 米国のリーダー像から強い影響を受けています。

思い浮かべる「ロールモデル」が異なるのです。


こんなことから、"中国古典"を基に幹部の人物像を語るなどという事は誰もしなくなってしまい、出来なくなってしまったのです。


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◎と言うことで…

"中国古典"から学ぶ『大人物に必要な5つの条件!』について深堀りし、"中国古典"の人物を基に人材の「あり方」を語るという習慣が無くなった理由を書いてきましたが、「変化の激しい これからの時代こそ」、"中国古典"のリーダー像が"ヒント"になると思います。


日本の組織運営は、色んな所で間違っているように思います。本来は、上手く適合できない『木』に『竹』を接いでいるような組織になっていると言われています。そして 新しい技術が続々と誕生し、社会のルールも日進月歩で変わるから、常に 新しい「知識」が求められ、それらへの対応に汲々としています。


新しい「知識」を知らないとトップの仕事は出来ないから仕方がないのですが、一方で 経営者に求められる『大人物』としての各要素を満たす人が、殆どいなくなっているのも事実です。

『中程度の人物』はいるが、会社の浮沈を その双肩に担って貰えそうな人物がいないのです。米国型の経営者を表面的にマネて、颯爽と舞台でプレゼンしてみても、どこかしっくりこないものです。本来、経営の舵取りを担当する者に必要な能力というのは、"中国古典"にあるような『資質』であり、「〇〇社で経理の経験が〇年」「海外ビジネスの経験が〇年」などと、『要素』に分解して、端的に表現できるような表層的なものではないのだと思います。


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いくらでも多くの兵を率いることが出来る『大将軍』の「韓信」が、せいぜい十万くらいの兵を率いる能力しかない「劉邦」の部下になったのは、「劉邦」には、「将の将たる特別な能力があった」からです。これからの時代、「スキルマトリックス」などでは到底測れない能力を持つ人こそ、組織の中心に置き、その人の基に、全社で団結して変わっていかなくてはならないのだと思います。


幸い、昨今は、ドラマや漫画・アニメやゲームのお陰で、再び"中国古典"の「人間洞察」についての興味関心が若い世代を中心に復活しつつあります。「三国志演義」のマイナーな軍師では誰が好きかというランキングを創った『キングダム』の「王騎」のメンターぶりや、「蔡沢」の外交力、「蒙、蒙武、蒙恬」三代の将の性格の違いなどを熱く語り合ったりする人たちも増えています。彼ら彼女らが『ビジネス社会』のど真ん中に来る10年後、20年後には、アメリカニズムに強く影響を受け過ぎた上の世代よりも、遥かにレベルの高い「人間洞察」に基づいた組織運営がされるようになると思います。

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