今日は、concan代表が思う「スマホ依存の現代人は、本当に 大丈夫か?」について考えてみます。
文字通り朝起きてから寝るまで、大人も子どもも『スマホ』に夢中になっています。『スマホ』の目覚ましで起き、『スマホ』でニュースを読み、メールをチェックし、通勤中も『スマホ』を手放さず、休憩時間も『スマホ』でゲームをしたり SNSをチェックしたり、こんなデバイスはこれまでありませんでした。これまで「ゲーム脳」や「テレビ中毒」など新しいデバイスやデジタルサービスが生まれる度に、批判的な論調が起こり、それを科学が否定するという繰り返しでした。
『スマホ』に感じる不気味さもこれまでの論調と同様に、新しい技術に対する"アレルギー"でしかないのでしょうか。
『スマホ』を使うと「記憶力」が低下すると言われています。『スマホ』を巡っては、『スマホ』の使い過ぎが "脳"に負荷をかけ、「記憶障害」や「判断力」の低下、「集中力」の低下を引き起こすと言われています。「5分間の『スマホ』利用で記憶に重大な障害という衝撃的な論文もあります。
「健常者64人」と「軽度認知障害者20人」を実験群、「健常者36人」を対照群として次の実験を行っています。
●実験群に対しては、最初に10個の単語を見せ、それを思い出しながら書き出して貰うテストを行います。
それを…
◆1.「スマホを使う前」
◆2.「スマホを5分間使った直後」
◆3.「スマホを5分間使ってから5分後」
という"3パターン"でスコアを比較しました。
一方、対照群は『スマホ』を使わず、実験群と同じ時間間隔でテストを行っています。
●その結果、実験群では『スマホ』を使った直後の健常者のスコアが最も低く、3回目の測定(2回目の測定から5分後)は、『スマホ』を使った直後よりもスコアは良かったが、『スマホ』を使う前のスコアよりも下だったのです。
「認知心理学」には、『ワーキングメモリー』(作業記憶)という概念があります。"脳"は作業に必要な情報を一時的に記憶し、作業が終わると『必要な情報』と『不要な情報』を整理して、不要な情報は消します。その一時的な情報整理の作業を行う場所が『ワーキングメモリー』です。
『ワーキングメモリー』で情報は整理され、記憶されますが、『スマホ』を四六時中使っていると常に『ワーキングメモリー』に新しい情報が入る為、整理する暇がないのです。その為、記憶が定着せず、「記憶力」が落ちることになるのです。『スマホ』は、本当に「記憶力」を低下させるのです。
「サイレントモード」にしただけで利用者の半数が不安に『スマホ』は、とにかく気を散らせます。アメリカで2011年ごろから「FoMO」(Fear of Missing Out)とその反対の意味の「JoMO」(Joy of Missing Out)」という単語が流行っています。「FoMO」は、情報を見逃す恐怖で、SNSで話題になったことを自分だけが知らない、『LINE』を使ったイベントの参加申し込みに自分だけ遅れるといったことを恐れる状態です。反対に情報を追わないことをスタイルにするのが「JoMO」です。「FoMO」に陥った人は、常に『スマホ』をチェックしなければ不安に駆られます。
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●『Google』が12名の参加者(女性6名、男性6名)に自分の携帯電話を「サイレントモード」にして貰い、24時間が経過した後に どのような状態だったかをインタビューしました。
●結果は二分されました。一方は、『スマホ』から解放され、あまりストレスを感じなかった、あるいはリラックスして仕事が出来たというものでした。もう一方は、見逃したメールがないか15分おきにチェックした人や友達や恋人からのチャットに返事が遅れると怒られると心配した人、周りからの疎外感を感じた人もいました。
たった1日、手元にないどころか、「サイレントモード」にしただけで、多くの人を不安に陥れました。それが『スマホ』なのです。
「スマホ脳」の作者、精神科医の『アンデシュ・ハンセン』によると、それでも人は『スマホ』を手放さないと言っています。「何かおかしい」と感じながら、朝起きて最初に『スマホ』でメールをチェックする。『スマホ』の何が人を夢中にさせるのか。ベストセラー「スマホ脳」の作者で精神科医の『アンデシュ・ハンセン』は、人間がギャンブルや酒に依存していくメカニズムと同じことが『スマホ』を使うと"脳"で起きるからだと言っています。
著名人のインタビューを行っている『シード・プラニング社』から同氏のインタビューを引用すると…
まず "脳"の目的について、次のように書かれています。
◆「脳は何のためにあるのでしょうか?」
◆「考えるため?」
◆「感じるため?」
"脳"は、考えたり感じたりしますが、それは「生存」するために『体』をどう動かすかを決定する為です。気持ちよくなったり、賢くなることは目的ではありません。そして、"脳"は長年に渡り変化していないとして、次のように指摘しています。
◆「私たちの"脳"は1万年も2万年も変化していません。まだサバンナ生活の"脳"なのです。ドーパミン(脳内で分泌される快楽を生む物質)は幸せの物質と考えられていますが、正しくありません」
『ハンセン氏』は、脳内でドーパミンが分泌される理由について、「生存」と繁殖の為に何に注意を向けるべきかを人間に教える為だと言っています。
つまり、ドーパミンは…
◆「もしかしたら?」
◆「たぶん?」
という期待の快感を生み出す物質なのです。ごはんの度にベルを鳴らすと、ベルを鳴らすだけで 犬がよだれを垂らすという、あの条件反射の実験の時、犬の"脳"の中は ドーパミンで溢れかえっています。"脳"は『おそらく得られる』という状況が好きなのです。だから人間は、ギャンブルが好きなんです。
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SNSの「いいね」ボタンは、まさに"脳"のこの仕組みを突いています。自分が"アップ"した写真や記事に誰が「いいね」を押したのか、何人が押したのか、SNSを開かなければ分からないのです。
◆「もしかしたら?」
に突き動かされ、人は『スマホ』を開きます。
「企業は心理学を使い、精神の深い部分に訴え掛けます。だから デジタルデバイスに触らずにいることは難しい」のです。『デジタル化された情報』と元の『アナログ情報』とは、同じように見えて"脳"の受け止め方は違うそうです。『ハンセン氏』は「紙の本とPDFデータでは、同じ内容でも記憶される中身が変わると言っています。「電子版よりも紙の方が学びの『質』が高いのです。内容が複雑になればなるほど、紙で読む方が学びの『質』が高まります。何故かは、分かりませんが。記憶と三次元で学ぶことが関係しているのかも知れません」と述べています。
『ハンセン氏』によると、現在の研究結果は紙とデジタルとでは質的な違いがあることを示しています。紙の方が明らかに良いのです。「私たちと『スマホ』の関係は、これから果てしなく続くデジタルとの関係の入り口に過ぎません。こうしたテクノロジーは、やがて 私たちの肉体に侵入し、血圧や心拍数を測定し、感情の動きを分析するでしょう。私たちには もっと議論が必要です」と。
『ハンセン氏』は、デジタル技術が人間や生物にとって適切なのかどうかの議論は もっとなされるべきだと考えています。「デジタル化は私たちを脅かしています。かつてないほど睡眠時間と運動時間を奪い、不安や鬱に対して 私たちを脆弱(ぜいじゃく)にしています。私は『スマホ』が他のエンターテインメント製品よりも中毒性が高いと考えています」
『スマホ』の普及で「得たもの」と「失ったもの」があります。『スマホ』とどのように付き合っていけばいいのか。「デジタルテクノロジーは素晴らしい。しかし そこにはダークサイドもあります」
例えば、人間は 同時にいくつものことを処理する「マルチタスク」が苦手です。ながら勉強は"脳"には向きません。必然的に「シングルタスク」を切り替えながら行うことになりますが、それは"脳"の使い方としては非効率です。「"脳"は、気が散り易いのです。それは 「生存」の為に常に周りに気を配らなくてはならなかった名残です。そうしなければ、動物に襲われたり、病気に掛かったりして すぐに死んでしまいます」
生き残るには、注意を周りに向けつつ、深く集中する必要があります。生きる為に深く集中するには、周りの情報を遮断しなければなりません。しかし 『スマホ』は、その逆のことを要求します。『スマホ』は「スマホに集中すること」を求めるのです。更に『スマホ』のコンテンツは、自分と他人を比較しています。「誰かと自分を比較することは ストレスですが、SNSは それを求めます。SNSで他人と自分を常に比較することは、精神に非常に悪い影響を与えます。自分がSNSの『ヒエラエルキー』の下方にいると思えば、不安や鬱は悪化します。自分は みんなより"ダメ"だと考えてしまうのです」
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◎と言うことで…
「スマホが、『頭』を悪くする」と題して書いてきましたが、私たちは、何時間も『スマホ』をのぞき込み、そこでは 広告やSNSが「あなたは 他人より遅れている、劣っている」と語り掛けています。
ここ 最近、私たちは 『他人に共感する力を失っている』のだと言うことです。
「今は誰もが個人放送局で、自分に注目を集めようとする時代です。それが共感性に影響しているのかも知れません」『スマホ』が様々な利便性を齎す一方で、私たちは何を失っています。「私たちは『スマホ』を使い出してから、眠らなくなり、運動をしなくなり、人と会わなくなりました。これが代償です。私たちがテクノロジーに合わせてはいけないのです。テクノロジーが私たちに合わせるべきなのです。」
●『スマホ』とは何なのか、デジタル化は『善』なのか『悪』なのか、私たちは議論すべき時と場所に立っています。
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